倉敷建築工房 山口晋作設計室
自治とレンマの回復

本稿は、松村圭一郎氏(岡山大学文学部准教授、文化人類学)が行っている市民参加型の講義「寺子屋スータ」(企画+会場;スロウな本屋、岡山市北区)を受講後に提出した宿題を転載しています。南方熊楠大先生を念頭に置きながら、バラバラになった現代社会の中において、生活者として自治感覚を回復したいという思いと共に、熊楠大先生が取り組んでいた西欧由来の学問では捉えきれない全人的学問を、直感的に全体を把握するスタンスで取り戻したいとの感覚を持って、書き記したものです。

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衣食住にまつわる大事な事を人に任せても、平気でいられるのが近代社会だと思う。

人に任せる、というのは、西ヨーロッパで生まれた近代思想が世の中を覆い尽くす前からあったものだけれど、それに慣れきってしまって、「任せた向こう側」、もしくは背後にある状況や概念に対して無頓着になり平気になり、その先には、その「大事な事」についての倫理感覚も緩んでくる社会に私は生きている。私自身の心の中にもそういった思想が広がっているのを知っている。おそろしいけど、それが事実としてある。

生まれ故郷の下津井田之浦(と山向こうの大畠地区)は、かなり古い時代・旧石器時代から集落が形成されていたことが確認されている(し、ついでに言うと、鷲羽山周辺には古墳時代の古墳が5基あり、平安延喜式神名帳の式内社に登録されている神社もあって、幼い頃はその神社のお祭りを楽しんだ)。つまり、あそこでは、かつては字単位、もしくは大字単位くらいの広さの中で、衣食住の生活が成り立っていたことになる。しかしながら、現在では自分の時間ですら自由に占有できない状況に囲まれており、先進国+BRICsをはじめとした世界レベルでの動きのなかに向かって、かなりの風圧力で自分たち自身の生活の方が、選択肢を与えられないままに取り込まれている。その生活の中では、自ずと自治感覚や当事者意識を持ちにくくなる。

本業である住宅設計(住宅以外の設計の際にはこれに留まらない)をするにあたり、基本思想として重視していることは、産業革命以降の仕組みに軸足を置いて設計をしない、ということだ。どういうことかというと、車や家電のように工業化しないと世の中に出現しえない代物と違い、住まいというのは、人がこの世界に生まれたそのときから、いつでも・常に・同時に・いやでも、「ある」わけで、やはり、「産業」や「工業」ではなく「生活」だよな、生活に軸足を置いて設計に取り組むべきだよな、とおもうわけです。

 

戦後の日本は、戦勝国の経済的植民地という役割を持ちながら、工業生産力を拡大を至上命題に、富国強兵なき文明開化を続けた。建築人に対しては「戦後民主主義の時代」に相応しい建築とは何か、という政治的フォーマットが掛けられ、丹下健三大先生が大活躍した。50年代と60年代は建築人が行政からチヤホヤされる時代だったが、東大都市工の丹下研が閉じる頃には、それも下火になっていた。ちょうどその頃、1973年には、世帯数を住宅数が上回わり、(加工前の鉄鋼である)粗鋼生産量も最大に至ったので、30年ほどで(工業生産力を指標とした)戦後の復興を結果として成し遂げたこととなった。つまり、それまでの30年間は、政治的要請で建築家が世の中に顕在していた事になる。その後、2000年までの25年は、住宅ローンが民間に解放された「住専」が誕生し「消費者」が住宅を持てる時代であったと共に、都心では容積率緩和を契機にした地価高騰を進めた末に「消費の海に浸る」建築人たちが多発した(プラザ合意を経てのバブル経済とその余力は2000年頃には衰えた)。

そういう経緯を踏まえて言うと、伊東豊雄大先生が還暦を迎えた年2000年に完成した「せんだいメディアテーク」が、明治以降の技術官僚や戦後の大建築家(丹下健三大先生、磯崎新大先生、伊東豊雄大先生)の活躍の終わりを告げた建物だったと私は思っている。それは、建築家の特権的主体性が無効化された時代が到来した事を意味していたのであり、いまから考えれば、2000年以降の建築家たちは新たな職能のあり方を考えるべきであったと思う。

政治的な課題や経済な課題を解決するために、代理者実行者として世の中に顕在していた建築家たちは、2000年以降はどのように生きていけば良いのだろうか。歩み出す道の方向を誤ったのであれば、まずは、そこまで遡って振り出しに戻るべきだろう。つまりは、開国以降、西欧思想を両手を持って受け入れた時に戻って、そこから別の経路(パラレルワールド)を辿った「文明開化」があったかもしれないと考えたい。そういった仮説を立てることで、自分が私有できない自分の時間の問題や、字単位や大字単位での暮らしをベースにした自治感覚の回復を企てる基礎を据えることができるだろう。

 

今回の「寺子屋スータ」で読み込んだ、南方熊楠大先生(1867 - 1941)は、江戸から明治に切り替わる頃に、教育を受けて、清国由来の漢学と同時に、(19歳から14年間もの間、アメリカとイギリスで過ごして)西欧の学問も修めていた。彼の研究で代表的なものは、粘菌研究だけれど、粘菌という動物と植物の間にある生き物を通して、理屈ではわからない人間の有り様を彼は分かりたかったのだと思う。

粘菌は、植物と生物の間を行き、生と死が分離できない状態のユニークな生き物で、全体でバランスをとりながら、生死が重なり合う全体運動をしている。それは、現代の我々(近代思想に覆われた我々)から見ると混乱するような状態だけど、日本は元来そのような世界観を持っていたし、日本だけではなく、世の中というのはそういった粘菌の生態のようなものなのではないだろうか、理解するのではなく感じるのだ、という視点を熊楠大先生は教えてくれた。

彼はおそらく、ロンドンの大英博物館に通いながら、ギリシャ語でいうところのロゴス(事物を整理立てて言葉にする)ではなくて、レンマ(直感によって全体を丸ごと把握し表現する)としての学問が、今後は必要だろうと察知したのだろうし、文物ではなく、生き物である粘菌を、つまり、自分が生まれ育った田辺や熊野にある粘菌を知ることによって、自分自身を知ろうとしたし、自分を通して世界を知ろうとしたのだと思う。

 

日本人は、欧州人との安定した関係性の構築においては、常に頭を悩ましてきた。今から450年ほど前、信長の時代(織田信長1534 - 82)には、スペインがフィリピンを植民地にした(1565 - 1898)後に、日本にやってきたイエズス会宣教師たちと関わる中で、彼らの向こう側に見え隠れするアジア侵略の意志を感じ取り、外国人と決別した。江戸の終わりの開国の頃には、隣国でのアヘン戦争(1839 - 42)があったが、英国らによるその後の上海の大変化を二ヶ月の滞在で骨身に染みて感じ取った高杉晋作(1839 - 1867)などは、日本の行く末を案じて過激な行動をとる。同じ年1862年の年末には品川イギリス公館を焼き払い、翌年には奇兵隊を組織して下関でイギリス艦隊と対峙した。

南方熊楠大先生(1867 - 1941)は、その状況を受けとめた上で、これからの日本はどうあるべきか、という一点を解きほぐしていったに違いない。あまりにも、考え方が違う欧州人と関わる際には、彼らがすっかり忘れてしまったレンマ(直感によって全体を丸ごと把握し表現する)という感覚を使って、世界を捉えて、自分の生活も捉えていけば良いのではないか、それを図式化したものが「南方曼陀羅」だった。

 

2000年以降の建築家はどのように振る舞うべきか。

建物に対して、機能や美しさ、調和した佇まいを求めるのは、当然のことだが、人との関わりよりも建築家としての自律性専門性の探求を重視して、そこに逃げ込むのでは、相応しくないだろう。既存の業界団体は内向き過ぎてダサいので付き合いきれないし、外的状況も建築家をそれほどチヤホヤしていない。それは、戦後復興期や安定した成長をしていた高度成長期・バブル経済という外的牽引力があった時には有効だったが、2000年以降ではそれはありえない。外的牽引力が失われ、歴史観価値観事実認識が多様化している現代では、空気を読むより、自分の本音を大事に生きたほうが良い。

では、どうするか。まずは自分が住んでいる街の、自分の身の周りの小さなレベルでの関係性を観察すること、そこに宿る小さな営みを着実に汲み取ることから、始めたいと思う。本来は、日常であるはずの「暮らし」が、非日常になってしまっているという現代だからこそ、こういった生活者が日常をベースとした建築活動が必要になっている。街での暮らしが楽しくなるために、建築系人材としての「御用聞き」として、広く自分を開いていくことが、これからの建築家としての前提だろうと思う(その先は、個人の資質によるものだ)。

街での暮らしというのは、いろんな因果があるけれども、こんがらがった時には、あえて理解しようとせずに、全体を全体として感じながら、熊楠大先生の感覚を思い起こしつつ、目の前の課題に対面してきたい。こういう文章を書いていると、こんなに声を上げて言うほどのことでもないな、とか、これは前も書いたかな、とか、そういうふうに思ってしまうが、それでも書いて、自分なりに整理しつつ同時に全体を感じながら、前に進みたい。

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