- 事務所名の改称にあたって
- 2019.08.01 Thursday | お知らせ
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2019年8月より、当事務所の名前を「倉敷建築工房 山口晋作設計室」と改称します。設計事務所の師匠である楢村徹氏(倉敷建築工房 楢村徹設計室)からの「暖簾分け」として、事務所の名称変更を致しまして、「倉敷建築工房 山口晋作設計室」となります。今後も地域に根ざした活動を進めて参ります。岡山・倉敷の皆様、児島の皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
また、同時にいくつかのコンテンツを追加しています。「PROFILE 挨拶・略歴」の略歴を更新して、「WORKS 仕事」に「岡山の都市住宅(外観)」と「Path」(松島分校美術館の一万歳の集落に学ぶ企画)を追加しました。以下は、私の履歴を踏まえながら、当事務所の考え方をまとめたものです。
100年前に大流行していた世界初の量産自動車「T型フォード」を企画したヘンリー・フォードは、車を作るとともに、その車が走る道路も作ったと言います。大量生産は大量消費とワンセットで、戦後日本の「一億総中流」を作り上げました。大量生産大量消費的な富の蓄積体勢には、大量の消費者を要します。消費者を育てようと画策された住宅関連税制及び金融機関による住宅ローンは、戦後に始まった「工業化住宅(もしくは、プレハブ住宅)」の建設を推し進めましたが、私自身は、岡山の「古民家再生工房」(1999年度建築学会賞業績賞受賞)に連なる建築家として、「工業化住宅」が作り出す日本の風景に違和感を持ちながら、室町に直接の端を発した伝統的民家(いわゆる、古民家)をベースにした「風景になる住宅」を作っていこうと考えています。
私は、他の同世代建築家と違って、明治の終わりに作られた古民家で二十歳まで暮らしていた「アドバンテージ」がありました。それが、ウエブサイトで紹介しているいくつかの仕事に生かされています。代表的なものは、「ヤマグチ建築デザイン(2008年)」に生きており、加えて、大学で泉田英雄氏(東京大学藤森照信研究室の初期メンバー)を通して学んだ建築史のイロハを「養分」とした上で、設計事務所の師匠である楢村徹氏(倉敷建築工房 楢村徹設計室)の「技法」を加味して「茅葺き屋根の記憶(2012年)」、「瀬戸内の現代擬洋風住宅(2013年)」、「岡山の都市住宅(2018年)」などが出来上がっています。
住宅とは、人が人であることを始めた時点から、人とともにあるモノですので、工業や産業に隷属するものだという前提で、つまりは、産業革命以後の世界観だけで、住まいのあり様を吹聴される現在の日本の状況には、違和感を常に抱いています。確かに、多くのものを大量に作るには、「フォード方式」に基づいた生産体制を用意する必要があるでしょうが、人口も需要も右肩下がりの昨今の日本においてさえ、それを続けざるを得ないというのは、ナンセンスだと感じます。大資本企業の研究室では、優秀な人材が日々研究と実験に努めていますが、明治の終わりの家で20年過ごした私の経験と、泉田さんに教わった建築史研究、また、楢村さんから教わった多くの教えを統合し、咀嚼して言い表すと、そういった企業行為から生み出される住宅よりも、名も無き人たちが、室町から500年以上の年月をかけて生活の中で実地テストを繰り返してきて、その上で評価を勝ち取り、生き残ってきた住宅とそのディティールこそが、その建物が建つ地方の土地に似合っている住宅であろうと考えています。
再生工事(俗に、リノベーション)についての認知度が、この10年ほどで上がってきています。「フォード方式」をベースにした住宅観・建物観の場合だと、家を建てるには先ずは古い家を取り壊して更地としてリセットした上で、住宅を考えていくのが順当ですが、古い家を直しながら家族の器を繋いでいく再生工事の場合には、時間の流れを受け入れて、古い柱に新しい柱を継ぎながら、家を作っていきます。多くの古い家を見てきましたが、元々の建物の部材以外にも、別の建物から材料を転用しているケースが多々見られます。かつての日本人は、継承や転用を日常的に行って、住まいを整えていくのが当たり前の感覚を持っていました。その経緯を踏まえて、長い長いスパンで日本の家を捉え直してみると、日本にとっての「フォード方式」が始まった高度成長期以降の状況の方が異端的な方式で、自らの住処を作っていったように受け止めています。私は、その異端的な状況が、仮になかったとしたら、500年前の室町から続く日本建築の伝統が、そのまま令和の時代にまで、素直に続いていたとしたら、どのような住宅ができていくのだろうか、という感覚を持ちながら、仕事に取り組んでいます。
地方都市の住宅は、その地方の建築家が作るべきですし、建築家や工務店などいなくても、住む人が自分で作れるのであれば、それに越したことはないとも思います。未だに地方の設計業界は、東京から偉い先生を呼んで、シンポやコンペに励んでいますが、そんな事をしている暇はなく、石にかじりついてでも、地方独自に企画して、実現していく力を作り蓄えていくことが、地方という言葉をなくす道ではないだろうかと考えます。
また、いくつかの社会活動の中でも代表的な「一般社団法人松島分校美術館(旧名称;クリエイターズラウンジ)」についても、触れておきます。
児島の彫刻家片山康之氏(2009年岡山芸術文化賞受賞暦などアリ)とともに活動している「松島分校美術館」は、地方都市に生きる文化人が、職業としてではなくて、生活者として、街の文化力を向上させるために行っている日常をベースにした活動です。「住んでいるのに、暮らしていない」という言葉が、まさしく当てはまるのが、現代日本人の生活だと思います。朝に家を出て夜に家に帰るという行動をしている多くの日本人は、住民票のある街で暮らしていると言えるでしょうか。本来は、日常であるはずの「暮らし」が、非日常になってしまっているという現代だからこそ、こういった生活者が日常をベースとした文化活動が、地方都市に必要だと考えます。
かつてフォードは、大きな街区と広くて長い道を作りましたが、文化や暮らしを愛する人には、下津井のように小さな街区と細くて短い道が相応しいように思います。小さな街区では、目的地へと続く道には色々なものが目に留まり変化に富みますが、フォード方式ではそうはいきません。迷路のような路地に育てられた私としては、人と人との関係性が豊かになり、日々の生活の細やかさ・ディティールに、喜びを感じるような住宅を今後も作りたいと考えます。
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いろんなものを取り戻すというか、居場所を見つける作業を、建築設計の分野で続けていきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
自分が日々感じている違和感と目指すべき方向がすべて代弁されていて心地よいです。
今後のご活躍、楽しみにしています。