下津井の路地歩き;目標はない、正解もない、楽しいことに没頭して、あとは成り行きを見守るだけ。 | 建築随想「仙芳丸航海日誌」
ヤマグチ建築デザイン
下津井の路地歩き;目標はない、正解もない、楽しいことに没頭して、あとは成り行きを見守るだけ。

下津井の路地を歩いている。

自分が生まれ育った町を改めて歩いている。昨年の9月から始めて1月まで、毎月一回の二時間ほどのことだ。下津井の田之浦と吹上を歩いた。下津井は昭和23年の統計で9900人の人口があったそうだ。今は5000人を切っている。

 

ただただ、楽しかった。

猫がたくさんいて寛いでいるのを観察していると、市役所の職員(兼、下津井の住民、兼、高専の先輩)の方から、目の前の、ありえないほどの狭い道が「公道」であると告げられて、自分が猫になったかのような気分にもなった。古い瓦からは古代植物のようなものが生えていて、持ち帰る参加者もいた。その昔、友達の家に行くために歩いた道だったが、その狭小路地を縫うように、そう、文字通り縫うように歩いて行った。少し広いところに出ると、井戸があったり、商店の廃墟らしき建物にも出くわす。たまに傾いている家があり、そういう時の匂いは、ジメジメした感じで、梅雨でもないのに、梅雨っぽい、艶っぽい雰囲気を得ながらの路地歩きになる。何より、路地自体が、その一筋の路地が、一つの大きな家族のようで、一つの呼吸をしている生き物のように感じる。そういう「路地あるき」を続けている。

 

 

平安から続いている路地を歩くのだ。

近くの神社は、旧児島郡ではたった二つしかない「延喜式神名帳」(927年)に収められている「式内神社」だ(もう一つは、玉野市庄内地区にある)。路地にある建物は、入れ替わっているだろうが、「道」を変えることは、あまりないし、変えない方が、便利なはずだ。そういう路地を歩いているのだ、と思うと、2017年の自分たちは、この路地にとっては、部外者であり、文化圏が違うところからやってきた異質な生物なんだろうな、とも思った。

国立大学の修士課程、しかも、建築史という、建築の専門教育をうけた。中卒から20歳までは、高松で土木を学んでいたので、スロースターターだったが、まあまあの水準には達していた。そういう前提での、ほどほどの知識を備えての「路地あるき」だったが、そういう知識は、知的好奇心を満たす助けにはなっても、居心地や喜びにはつながらなかった。歩いて感じる楽しさは、別のところからやってきた。ちょうど、論理や理屈だけでは、喜びが感じられず、生活の中で身体を動かして、身体で感じて、ああ生きてるなあ、という実感を伴って、初めて、喜びの実感が湧いて来るのと同じように、仲間と一緒に歩くことによって、ああ、楽しいなあ、嬉しいなあ、という感覚を身体が受け止めて行く。人生で今が一番楽しいと断言できる。

 

 

あと10日ほど後には、倉敷市の「市民提案事業」のための、プレゼンが控えている。50万円の資金を提供してくれるそうだ。空き家の活用のために、倉敷市民の税金を使わせてもらうことになる。

偉い人たちが、審査するのだけれど、彼らの役割というのは、僕の話を聞いて、「まあ、えんじゃねえの」という「官僚的アリバイ作り」のために、呼ばれている人たちで、いわゆる「学識経験者」という人たちになる。予算の使い方は、あくまでも、官僚的で、「倉敷も、地方創生の先端地区として、名を挙げてみたい」という議会・職員の思惑を受けているわけだけど、そのレベルでは、イノベーションは生まれないだろうと思う。

 

彼らはきっと言うだろう。「どうゆう目的で、始めたんですか」と。

正直に言うと、目的はない。本当にない。

 

あるとしたら、その時の実感・体感としての、「ただただ、楽しいから」と言うことがあるだけだ。

確かに、提案書として提出した書類には、もっともらしいことを、テクニカルにまとめて、喜ばれそうな文字列を並べている。そういうのは、小学生以来の近代教育を受けてきたので、ある程度の体裁を整えることはできるし、それ自体は、至極簡単なことだ。その書類は、あくまでも、一歩引いた時の、「ヨソ行き」の服装であって、実態はそうではなくて、「ただただ、楽しいから」ということが、発端になっている。

 

「どうゆう目的で、始めたんですか」とか、「どのような目標を設定しているのですか」とか、色々と聞いて来るのだろうけれど、そういう姿勢での質問は、「物事には、目的や正解があるはずで、それがないものは、とっても危険なものだ」という感覚を伴った質問になっている。こういった感覚は、「正解主義」とも言われいてる。ナンセンスだ。

 

プレゼンの時に言おうと思う、「審査員の先輩方の感覚は、間違っています。それは、猛烈に没頭して、楽しくって、やり遂げて、一息ついて、何ヶ月か経った後の人が、どこかで、講演会に呼ばれて、後付けの理由として、口に出すようなことであって、目的とか、正解とか、ということは、あんまり考えていないです。考えているのは、楽しいことに没頭して、あとは成り行きを見守ろうと、その後の状況によって、また、次の展開に対応しようと、ただそれだけです。生意気ですみませんが、そんな感じです。」

 

 

この路地に住んでいる人たちの息遣いは、現代人には、「異文化」なのだろうと思う。

 

来月は、大畠地区を歩く予定だ。今日は、その地区で、ステンレスナットを素手で削って指輪を作っている川辺君に路地の案内を頼んだところだ。「カワベマサヒロ」と言う名前で検索すればいい。いい仕事をする子だ。彼は、小中学校の後輩にあたる。当時の印象は、とてもほっそりして、弱々しい感じの子。という感じだった。彼にとっての僕の印象は、不良から改心して真面目になった人、ということらしい。たくさん人をぶん殴っていた印象があるとか。川辺君、それ、人違いだから(笑。

下津井外の人からすると、田之浦も大畠も、同じく「下津井」という括りになるかもしれないが、あくまでも、田之浦生まれの僕にとっては、大畠は、「ヨソ」の土地であって、大畠には、部外者として、路地を歩かせていただく立場になる。

 

追記)

次回の「路地あるき」は、吹上美術館の企画として、3月18日午後2時に行います。詳しくは、Facebookページにて。

 

 

 

 

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