倉敷建築工房 山口晋作設計室
小さく住んで、大きく生きる。


先日、この写真の黄色い車が、新車から10年経ったことに気付きました。私にとっては、まだまだとても新しくて、新車の気持ちで乗っている車ですが、それでも、来年は、自動車税が一割アップするグループに入るクルマです。
一方、中古住宅市場については、多くの識者の掛け声も虚しく、未だふるわず、固定資産としても、銀行から見ても、魅力がないようですが、いつの日か、古い家を直して住む人たちばかりが増えた場合には、自治体は税収のために、銀行はお金の貸出しのために、古い家の流通を促すような姿勢をとるのでしょう。
しかし、その時にも、そこにあるモノサシは、「金融」とか「経済」とか、呼ばれるものであって、そういう意味では、評価軸は同じです。高額なモノが良いモノとは限らず、新しいモノが良いモノとは限らない、ということを我々は知っています。マスコミの流す広告の多くは、消費者にモノを売り込むためのもので、時に、そのスタンスに辟易することがあります。「幸せ」を売り込む広告というものを、見てみたいです。

さて、少し前から、自分の家を自分で作るセルフビルドという言葉や、セミセルフビルドともいうべき、部分的に自分の家を(例えば、床の塗装をする、壁を左官のようにコテで塗る、などのように)作る人たちが増えています。それは、手にあまる大きさの家であっても、自分の身体の延長として捉えたい、自分のものとしたい、という人の根本的な欲求からきているものと思います。お金がないから、という消極的な理由だけではないように、私には思えるのです。

また、アメリカでの話ですが、最近の傾向として、かなり小さな家(4坪ほどが多いようです)を住まいとして、持ち物を極力減らして、暮らしていこうという人が現れて来ているようです。数は少ないですが、彼らが現代社会に放つメッセージは、遠くまで届く威力があります。あちらは土地の広さにものを言わせて、大きな家で住むのが当たり前ですが、管理できないほどのモノに溢れた生活をしている自らの日々に反省して、モノを減らして日々接する情報量も減らして、暮らしていこうというのです。モノに関わる時間を解放して、やってみたかったけど、できなかったこと、例えば、人に会う・身体が喜ぶ食事を自分で作るなど、心が満たされることに時間を使おう、という考え方です。 もともと、日本では、土地が狭く家が小さいですから、こういった小さな家での住まい方は、世界的にも「先輩」であるはずですが、戦後の住宅産業がそれを破壊した結果、「ゼン(禅)」とか、「ミンカ(民家)」などが、海外で通用する思想であることを、多くの日本人が知らないのに比例するように、小さな家に沢山のモノと沢山の情報を詰め込むことが、「幸せ」への近道だという広告の渦に私たちは巻き込まれています。 



旅をするように生活ができれば、とても充実した日々が過ごせるだろう、きっとそうだろう、とハタチの頃、大人になりかけのハタチの頃、そう思ったものです。ひと月間、ヨーロッパを、デイパック一つで旅行していた時のことです。子供時代や学生時代に自分のことだけに熱中できるのも、持ち物が極端に少ないからでしょう。
セルフビルドも、小さな家も、自分の人生を自分でハンドリングしたい、借り物ではなく、身体の延長として住まいを実感したい、人生を楽しみたい、そういった欲求、ごくごく自然な欲求が元となっています。家は買うモノではなく、作るモノです。それは、1,000万円とか、2,000万円とか、お金で表現できないことであって、どれだけ時間を使ったか、その家に住まうまでに、その家にどのくらい向き合ってきたか、そういった時間の長さが、即、充実感につながるのだろう、きっとそうだろう。そんなことを、先日完成した住宅の仕事で感じたのでした。
| 01:55 | comments(0) | - |

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