ザラザラな家、ボコボコな家 | 建築随想「仙芳丸航海日誌」
ヤマグチ建築デザイン
ザラザラな家、ボコボコな家

(下津井のニシン蔵 明治時代)

母は、左官屋の娘だった。児島上之町天王の大西左官というところの娘だった。小さいころ、でっかい鍋の中でグツグツ煮立った布海苔をかき混ぜるのが、日々のお手伝いだったという。布海苔とは漆喰を構成する、天然の糊のことだ。昆布のネバネバを濃縮したようなもの、といえば、お分かりだろうか。

左官屋というのは、いかに綺麗な壁を塗れるか、垂直で滑らかな壁を作れるか、もっと上手になれば、蔵のハチマキ(屋根のすぐ下のキュ!となっているところ)などに多用される曲線をいかに綺麗に塗れるか、というところまで行くもので、鏝絵なんて世界もあるから、高等な技術がいる仕事だ。大工でも同じだ。大工の醍醐味は、木を縦横に組んでいく、斜めの屋根を作っていく、というところをベースにしつつ、仕上げとして、綺麗なスベスベの木肌を作り出す、鉋掛けという作業を上手にできるかというところが、腕の見せ所でもある。いわば大工の誇りだ。


(農家の納屋・軒の裏 割竹と稲藁の上に土を載せているのが見える)

しかし、これらの方向性、つまり、綺麗にする美しくする、スベスベ・平らにする、という方向性は、「寝る・食べる・寛ぐ」という住宅の三大要素とは別の軸線上にあるもので、「スベスベ・平ら」ではなく、「ざらざら・ぼこぼこ」であっても、「寝る・食べる・寛ぐ」ということはできるのであるから、所得も職人の技術も低下している昨今では、工事費削減の意味も兼ねて、私の家のようにワザと鉋掛けしていない住宅を作ってもいいだろうし、まだしていないが、ボコボコした壁の家があってもいいように思う。

大事なのは、「スベスベ・平ら・きれい」という方向性を実現したいあまり、職人の力によらない工業的方法で出来た、既製品の材料を安易に使わないことだ。既製品材料は、効率化に特化しすぎるあまり、使う人の感覚よりも作る人の感覚を重視したものが多い。日々、食べるものが、実は元々は生き物なのだ、という基本的なことすら忘れがちな現代人が、毎日スーパーで食品を買っているのと同じように、住まいというものも、つくるものではなく、買うものだと思わされている。それも、本物ではなく、エセ「スベスベ」を欲っするようにと、市場からは仕向けられているので、忙しい現代人は、別の方向性「ザラザラ・ボコボコ」を選びにくい。




写真の蔵には、すこし濃い色の土で補修しているのが、見て取れるが、おそらく、持ち主自身が塗ったものだろう。外国人から見れば、ハイテク国家日本が、土の住まいを持っているということに違和感を覚えるようだが、これが現実でもある。ボロボロに見える、この蔵とて、分厚い土が雨を吸収しているので、内部には入って来ないのだろうし、入って来ても晴れた日に水は乾くのだし、オモテからみた隙間も内部にまでは届いておらず、現役の蔵として今も働いている。
| 00:13 | comments(0) | - |

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