倉敷建築工房 山口晋作設計室
モノより人、カネより人
中学・高校生の頃、「モノマガジン」という雑誌にゾッコンで、そこで掲載される幾つものすぐれた製品に憧れながら、そして、ゴクたまには、自分で手にすることもできたりと、清純な学生時代を送っていたものです。その後は今の仕事に繋がるような方向に進むのですが、ある程度の専門性を蓄えて来ると、自分のアイデンティティと一体になってきて、ともすると、相手のことを考えているのではなく、目の前の建築であったり、植物であったり、また家具や器であったり、そういう、「モノ」を重視して、しまいがちになります。
古い建物を見つけて、本当に貴重で美しく、これがそのまま残って欲しいなあ、と思うことが良くあります。そうでなくても、その方のお宅にある一番古い部分の建物を指差し、これは残した方が良い、うん、ぜったいに!なんて口に出してしまうこともあります。
こういった専門家に見られがちな、狭小な感覚というのは、世間一般でいえば、非常に特殊な感覚で、いわゆるオタクな感じですが、本人にしてみれば、その特殊な感覚が世の中に求められているのだ!という逆説的な意気込みで頭の中がいっぱいなこともありますから、その家の人がどんな風に考えているのか、というゴクゴク基本的というか、当たり前のことを、受け入れるような余地などなくて、上記のような振る舞いをしてしまうことがあるのです。
そういうとき、ぼくなんかは、「モノより人が大事」なんだという、当たり前のことを思い出すようにしています。住宅のために人があるのではなく、人のために住宅があるのですから、当たり前のことです。その方が、その古い住宅を長年背負ってきて、そろそろ、解き放たれたい、と感じているかもしれませんし、敷地の上にあるものをすべて失くすことによって、全く別のものが出来上がる可能性がうまれる、スタートラインに立つ、ということもあります。
この建物はとても貴重だからそのまま使い続けた方がいいですよ、という言葉は、時にはその人にとっては一番言われたくない言葉であることもあるのです。古民家再生をずうっと、やってきているからこそ、こういう感覚、「モノより人」という感覚は、大事にしたいと思うのでした。

いっぽう、これから新しく住まいを考えようとする人にとって、どのくらいお金が掛かるのか、というのは、一大関心事です。そうでなくても、この数十年、朝から晩まで働いても、ついでに残業しても、まったく生活が楽にならず、むしろ、年々、食費を捻出するのも気にするような経済情勢が続いている中、消費増税の追い打ちもあり、経済的な厳しさも高まっています。そんな中で、大きなお金を出して、住まいを構える意味がどのくらいあるのか、今のこの家でもいいのではないか、と考えるのは、普通のことです。
本当にお金がなく、住まいのことを考える余裕がない、というのなら、また別ですが、そうではなく、家は欲しいのだけれど、少しの余裕を持って、今後の借家暮らしを続けて行きたい、だって、お金がなくなると困るから、という方が多いのも事実です。
そういう意味では、ぼくの事務所を訪ねてくる方には、二種類の方がおられます。最初のタイプは、とても純粋な場合で、家をつくるのは誰しもやるべきことで、大人の階段を上るためのワンステップだ、と漠然と考えているパターンで、もう一つは、お金を残しておいていても、人生が豊かになるわけではない、そうではなく、残りの人生を手元にあるお金、または、銀行から借りれるお金のすべてを使って、住生活を楽しむのだ、どうせ、死んだ先には、お金を持って行けないのだから。というタイプです。
純粋なタイプは三十代くらいで住宅を構えるのが多いですから、まだまだ世の中のことも半分くらいしか分かっていなくて、この住宅建築の事業も人生勉強だ、くらいにおもって臨んでいますので、こっちもその様な対応をしています。
後者タイプ・お金を使い切ろうタイプは、もう少し年配の方が多く、話を聞いていてとても教えられることが多いです。ただ、読む方に注意していただきたいのは、使い切ろうと言っても、十分な予算があるわけではなく、自分が持っている予算の範囲内で、できるだけのことをしよう、と考えている人が大半です。
毎日の暮らしの器である住まいが変われば、確かに快適になります。目の前のお金の束では、実際、幸せになれるわけではありません。なんとなく、保険というか、安心のよりどころのようにお金を考えているのかもしれませんが、人によっては、それを住宅に変えて、もしくは、今の住宅を改造することによって、幸せになってやろう、「カネより人」だと考えるのだそうです。
お金は確かに安心に繋がるのかもしれませんが、残りの人生を自分なりの住まい方で暮らす方が、身も心も健康になれるのだ、というのが、そういう方が口を揃えて言われることです。

「モノより人」「カネより人」というのは、矛盾する部分もあるのですが、場合によっては真理であり、労働と休日しかない日々の暮らしの中で、自分らしさを取り戻せる住処(すみか)としての住宅を、誰しもが求めているのだ、というのを仕事を通じて教えられているところです。消費を煽るマスコミの風潮になびかず、流行のアイテムを身に付けていなくても、噂のお店や観光地にわざわざ行かなくても、自分の家の椅子に座っているだけで、ただただ、幸せだ、という感覚があるのです。



まあ、そもそも、幸せとは何か、なんていう問題に言及するつもりはありませんので、住生活の改善で日々の暮らしを自分らしく生きることができる、という前提でのお話でございます。
 
| 23:15 | comments(2) | - |

Comment
Tanakaさん、ありがとうございます。
そうやって、自分なりの選択を果たせる人が非常に少ないというのが、現代社会の大問題なんだとおもいます。どんどん諦めて、どんどん安易になっていくばかりですが、少しでも踏みとどまって、それでも、同じお金でこういう世界が実現できるんです。と、発信し続けたいと思います。
Posted by: 山口晋作 |at: 2014/06/29 1:14 PM
「幸せとは何か」というのは確かに色々な論争を招きそうな問題ですが、「幸せ」を追い求めるというのは人間として間違いの無い真実なのではないかと思います。
豊かな住生活を送るというのは、「幸せ」ということにかなり近いところにあるものだと思っていて、どこに住むかとかどういう家に住むかというのは、その人がどういう人生を送るかということとほとんど重なっているのではないかと思ったりします。
日々の生活そのものが楽しくそれだけで幸せ、ということが理想だとは思うのですが、世の中刺激的なものが多く、人間の欲望や欲求といったものは「豊かな日常生活」だけではなかなか満たされないということでしょうか。
Posted by: Kiyoshi Tanaka |at: 2014/06/28 12:15 AM












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