社会活動 | 建築随想「仙芳丸航海日誌」
ヤマグチ建築デザイン
なぜ路地を歩くのか

都心部では、人気がなくなった高層マンションから人がいなくなり、高層過疎地となっているビルが林立しているそうで、その状況を枯れ木になぞらえて、「立ち枯れ」と表現されることもあるようです。

 

関わる人が多くなればなるほど、近代社会の様式に染まれば染まるほど、そこでの生活の秩序・規律が、最大公約数的に拡がっていき、その結果、生活感の希薄さが露呈してくるというのが、都市生活の寂しい部分ですが、そういった状況の中で、「なぜ路地を歩くのか」という問いには、「生きている実感、みたいなものを感じられるから」という言葉が、僕からは出てきます。

 

いつも歩いている路地は、道が狭くて法律上新築が許されておらず、そのため、金融機関からも抵当権の設定がされないような土地になっています。現代の金融事情から見放された土地ということです。そういった土地にあるのは、金融社会とは無縁の時代から続く、人々の生活であり、人生の知恵です。

 

同じ過疎地である「立ち枯れマンション」の共用廊下を歩いていても、そういった実感はないでしょうが、少なくとも平安以降1300年以上続く、田之浦と大畠の路地を歩くと、現代からやってきた我々は、ああ、生きるってこういう感じだよなあ、ということを、感じ取ることができます。心のアンテナの感度を高めて、ゆっくりと歩いてみると、自分なりの「発見」を手にすることができるでしょう。

吹上美術館の企画「下津井・路地めぐり」は、2016年9月から始めて、毎月一回のペースで現在6回目を終えました。田之浦地区3回、吹上地区2回、そして、今日、大畠地区の第一回目を行いました。大畠地区は、最大規模の充実度で4回くらいしないと、全体を制覇できない規模になっています。

 

| 21:57 | comments(0) | - |

下津井の路地歩き;目標はない、正解もない、楽しいことに没頭して、あとは成り行きを見守るだけ。

下津井の路地を歩いている。

自分が生まれ育った町を改めて歩いている。昨年の9月から始めて1月まで、毎月一回の二時間ほどのことだ。下津井の田之浦と吹上を歩いた。下津井は昭和23年の統計で9900人の人口があったそうだ。今は5000人を切っている。

 

ただただ、楽しかった。

猫がたくさんいて寛いでいるのを観察していると、市役所の職員(兼、下津井の住民、兼、高専の先輩)の方から、目の前の、ありえないほどの狭い道が「公道」であると告げられて、自分が猫になったかのような気分にもなった。古い瓦からは古代植物のようなものが生えていて、持ち帰る参加者もいた。その昔、友達の家に行くために歩いた道だったが、その狭小路地を縫うように、そう、文字通り縫うように歩いて行った。少し広いところに出ると、井戸があったり、商店の廃墟らしき建物にも出くわす。たまに傾いている家があり、そういう時の匂いは、ジメジメした感じで、梅雨でもないのに、梅雨っぽい、艶っぽい雰囲気を得ながらの路地歩きになる。何より、路地自体が、その一筋の路地が、一つの大きな家族のようで、一つの呼吸をしている生き物のように感じる。そういう「路地あるき」を続けている。

 

 

平安から続いている路地を歩くのだ。

近くの神社は、旧児島郡ではたった二つしかない「延喜式神名帳」(927年)に収められている「式内神社」だ(もう一つは、玉野市庄内地区にある)。路地にある建物は、入れ替わっているだろうが、「道」を変えることは、あまりないし、変えない方が、便利なはずだ。そういう路地を歩いているのだ、と思うと、2017年の自分たちは、この路地にとっては、部外者であり、文化圏が違うところからやってきた異質な生物なんだろうな、とも思った。

国立大学の修士課程、しかも、建築史という、建築の専門教育をうけた。中卒から20歳までは、高松で土木を学んでいたので、スロースターターだったが、まあまあの水準には達していた。そういう前提での、ほどほどの知識を備えての「路地あるき」だったが、そういう知識は、知的好奇心を満たす助けにはなっても、居心地や喜びにはつながらなかった。歩いて感じる楽しさは、別のところからやってきた。ちょうど、論理や理屈だけでは、喜びが感じられず、生活の中で身体を動かして、身体で感じて、ああ生きてるなあ、という実感を伴って、初めて、喜びの実感が湧いて来るのと同じように、仲間と一緒に歩くことによって、ああ、楽しいなあ、嬉しいなあ、という感覚を身体が受け止めて行く。人生で今が一番楽しいと断言できる。

 

 

あと10日ほど後には、倉敷市の「市民提案事業」のための、プレゼンが控えている。50万円の資金を提供してくれるそうだ。空き家の活用のために、倉敷市民の税金を使わせてもらうことになる。

偉い人たちが、審査するのだけれど、彼らの役割というのは、僕の話を聞いて、「まあ、えんじゃねえの」という「官僚的アリバイ作り」のために、呼ばれている人たちで、いわゆる「学識経験者」という人たちになる。予算の使い方は、あくまでも、官僚的で、「倉敷も、地方創生の先端地区として、名を挙げてみたい」という議会・職員の思惑を受けているわけだけど、そのレベルでは、イノベーションは生まれないだろうと思う。

 

彼らはきっと言うだろう。「どうゆう目的で、始めたんですか」と。

正直に言うと、目的はない。本当にない。

 

あるとしたら、その時の実感・体感としての、「ただただ、楽しいから」と言うことがあるだけだ。

確かに、提案書として提出した書類には、もっともらしいことを、テクニカルにまとめて、喜ばれそうな文字列を並べている。そういうのは、小学生以来の近代教育を受けてきたので、ある程度の体裁を整えることはできるし、それ自体は、至極簡単なことだ。その書類は、あくまでも、一歩引いた時の、「ヨソ行き」の服装であって、実態はそうではなくて、「ただただ、楽しいから」ということが、発端になっている。

 

「どうゆう目的で、始めたんですか」とか、「どのような目標を設定しているのですか」とか、色々と聞いて来るのだろうけれど、そういう姿勢での質問は、「物事には、目的や正解があるはずで、それがないものは、とっても危険なものだ」という感覚を伴った質問になっている。こういった感覚は、「正解主義」とも言われいてる。ナンセンスだ。

 

プレゼンの時に言おうと思う、「審査員の先輩方の感覚は、間違っています。それは、猛烈に没頭して、楽しくって、やり遂げて、一息ついて、何ヶ月か経った後の人が、どこかで、講演会に呼ばれて、後付けの理由として、口に出すようなことであって、目的とか、正解とか、ということは、あんまり考えていないです。考えているのは、楽しいことに没頭して、あとは成り行きを見守ろうと、その後の状況によって、また、次の展開に対応しようと、ただそれだけです。生意気ですみませんが、そんな感じです。」

 

 

この路地に住んでいる人たちの息遣いは、現代人には、「異文化」なのだろうと思う。

 

来月は、大畠地区を歩く予定だ。今日は、その地区で、ステンレスナットを素手で削って指輪を作っている川辺君に路地の案内を頼んだところだ。「カワベマサヒロ」と言う名前で検索すればいい。いい仕事をする子だ。彼は、小中学校の後輩にあたる。当時の印象は、とてもほっそりして、弱々しい感じの子。という感じだった。彼にとっての僕の印象は、不良から改心して真面目になった人、ということらしい。たくさん人をぶん殴っていた印象があるとか。川辺君、それ、人違いだから(笑。

下津井外の人からすると、田之浦も大畠も、同じく「下津井」という括りになるかもしれないが、あくまでも、田之浦生まれの僕にとっては、大畠は、「ヨソ」の土地であって、大畠には、部外者として、路地を歩かせていただく立場になる。

 

追記)

次回の「路地あるき」は、吹上美術館の企画として、3月18日午後2時に行います。詳しくは、Facebookページにて。

 

 

 

 

| 22:39 | comments(0) | - |

当事者になる
まさか、自分がもう一度、当事者になるとは思っていなかった。


(シェアスタジオの建設風景)

いつも、ひと様のお宅を設計して監理して、引っ越しにまで関わっている存在だが、自分自身が当事者になるとは思っていなかった。
ちょうど、10年前に自分の自宅兼事務所を、夜な夜な家で設計していたけれど、規模は違うけれど、もう一度、当事者になっている。


(自宅兼事務所の建設風景)

しかし、大きく違うことがあって、使う人と作る人が一緒になっている。つまり、設計だけではなく、通常、工務店が行う作業を自分がしている。これは、7坪ほどの広さを三つに分けて、シェアする空間になる。

これからの時代は、大げさな構想を立てて、全方位を用意周到に準備立てて、上意下達に意思を伝えて、工事に臨んでいくというのではなく、そうではなくて、必要が生じたところから、狭い範囲で複数の人達が小さな事を始めていく、という行き方に変わっていくように感じている。計画的アプローチが計画的に進まない時代なので、そういう大げさな動きはやめておいて、まずは使う人ありき・実行ありきのアプローチである。後者の方が、停滞する土地利用や賃貸物件の活用が動きやすいし、使う人が考えているから出来上がりも納得のものになる。その場合には住宅メーカーの入る隙はない。ただ、出来上がりは多少みすぼらしくなるかもしれない。でもまあ、どうせ、皆が金がない状況だから、そういうことも、笑って過ごせる時代である。そちらの方がハッピー率が高いと思う。

そういう思考で街を眺めていると、写真のような古ぼけたアパートが、急に魅力的に見えてきたりする。これを借りてお店が入ると楽しいだろうなあ、という感じで、ストリートビューの画面から動けなくなるのである。明日の朝、ここに偵察に行く予定だ。


(JR児島駅近くの古いアパート)

トップの写真の物件は、児島駅近くにまもなくオープンするシェアスタジオです。一緒に楽しいことをしたい人を求めています。
| 05:09 | comments(0) | - |

「准限界集落」は、最先端。
外車賛美!の傾向がいつまでも続く日本の自動車ジャーナリスト業界ですが、VWの新型ゴルフ(7代目)が鳴り物入りで登場した割には、発売後のトーンダウンが激しく、どうやら、体験してみると先代とそれほど変わらず、むしろコストダウンの悪影響が出ているほどで、技術肌の両角岳彦さんなどは試乗直後に先代の方がよかった、と評したほどの出来だったようです。まるで、ワインの先行きを占う、ボジョレーヌーボをはやし立てる日本マスコミのように、比較的あっさりとした実用車であるゴルフを発売前から大賛美していたのだけれど、乗ってみると、去年の畑の方がよかった的なムードが漂っている舶来品大好き業界が、評論家と呼ばれる人たちなので、その記事を読まされるクルマ好きな人たちは何ともかわいそうな気になります。

ゴルフは確かに小型実用車の中で高レベルなのですが、アクセラのほうが断然いいし、レヴォーグも負けてはいないのですから、ボジョレー祭りはそろそろ止めておいて、この日本酒はフランスワインに十分勝っている!と評論家諸氏には宣言して欲しいものです。メルセデスのFF車は三菱ベースですし、VWの小型車はスズキ車ベースです。また、変速機のアイシンや電装系のデンソーなどの日本メーカーの助けによって、ヨーロッパのクルマは出来上がっていますので、俎板の上の鯉状態で経済的に厳しい状況の続く日本市場が、たまたまクルマが売れない状況だから、日本メーカー陣が安いクルマばかり作らされているだけであって、そういうねじれ構造を知っているはずの評論家が、さすがです、VW様!というのは、大人の事情を差し引いても、納得がいかないところだなあ、と私なんかは眺めています。



さて、このブログは建築ブログですが、以前のブログからかなりこういう横道に逸れたことも書いてきましたので、冒頭からぶっ飛んだ文章でしたが、今回は、以前からたまに書いている、下津井の件の続報をお届けします。

じつは、下津井に市民活動の延長での美術館を準備していまして、方々で頭を下げて、未だ実体のない美術館を、さも実態があるかのようにしゃべる訓練をしているところですが、基本環境としてその地域の人口とかその構成というのはとても大事で、大事なのは、他地域との比較の上で一番分かり易いものだからで、産業構造や公共サービスも大事ですが、まずはビール!、じゃなくて、まずは、人口とその構成の確認が大事なんです。

それで、注意深く調べてみると、どうやら、下津井地区は、「准限界集落」になっていました。限界集落(注、という呼び方自体が気に入らなければ、共同体としての維持が難しい集落、などに言い換えて読んで下さればいいです。先に、この地域で年間100人が減っていることは確認したのですが、これは、児島地区全体が年間500人の減少で(2014年4月時点人口72,000人)、その内の100人が下津井地区なのはかなりのウエイトを占めているという理解で、市長、これは過疎化といっても良い状況です、と先日の「市長と語る会イン下津井」で倉敷市長にも言ったのですが、10年以上、順調に下り坂を下ってきて、この春には5,300人になっているこの地区の年齢構成から見た一つの指標としては、「准限界集落」に相当する地区になっていた、ということが今日、分かりました。

倉敷市自体は50万人近い人口があり、一般的なイメージである観光都市というよりも、工業都市として成績を上げている都市で、それなりの活気がある都市ですが、いっぽう、私が取り組んでいる集落では、「准限界集落」になっていた、ということですから、「隠れた過疎」とか、「忘れられた外周集落」とか、そういう言葉を作りたくなるような状況です。二つある小学校のうち、一方では三学年が一桁の生徒しかおらず、昔でいえば、離島や山奥のような「僻地の集落」に相当する状況が、もう、既に到来している、という状況です。おそらくですが、合併を繰り返したあげく、かつての中学校区くらいで構成される集落単位の状況というのは、より、分かり難くなっているはずで、意識的に数字を調べてみないと、「隠れた」ままになっていることでしょう。これは、日本全国で同じ状況です。

昨年の今頃から、これからは下津井がナウでヤングだよね、と仲間で話しながら、年末には具体的な動きに移りましたが、「隠れた過疎」を、オモテに引きずり出した理由というのは、この過疎状況というのが、他地域を先取りした状況だからで、その他の、まだ「過疎」になっていない地域も、今の55歳が85歳を迎える30年後には、現在の下津井のように「准限界集落」に突入する集落が多数出てくるはずですから、現在の下津井において必要とされる幅の広いニーズ・生活需要(商業的需要だけではない)を整理して、それに解決を与える活動をしていくのは、とても価値があることで、後退した地域、という印象からは逆説的な考え方を持ち、下津井などの過疎地域を、課題の先端地域、などと表現することもできるわけです。つまりは、下津井での課題解決手法が他地域にフィードバックできる、ということです。この状況は、311東日本大震災で甚大な被害を受けた地域でも、全く同じで、現在東北において課題解決に奔走している人たちの活動というのも、わたしは興味深く見ているところです。

なぜ、建築家や美術家などのモノを作る作家がこういうことをしているのか、うまく理解できない方もいると思いますので、その点もあえて説明しておきますが、私たちというのは、常に今の世の中の諸問題に対して、自分なりの解答を発表して行く訓練を個々人の作品制作の中で行なっていまして、そのアウトプットが作品ではなく、町に溢れ出して行っているというのが、今回の動きになります。それが、美術館を軸にしたまちづくり活動になっているということで、私たちにとっては、とても自然なことで、まったくお金にならないという点を除けば、私たちにとっては、日頃の仕事と同列に扱っているものなのです。

ボジョレー祭りを繰り返す都市の喧噪を離れて、ココこそ最先端の集落だと、そんな下津井で、楽しくやっています。


<関連記事>

(注
存続集落;55歳未満、人口比50%以上;
跡継ぎが確保されており、の機能を次世代に受け継いでいける状態。
準限界集落;55歳以上、人口比50%以上;
現在は共同体の機能を維持しているが、跡継ぎの確保が難しくなっており、限界集落の予備軍となっている状態。
限界集落;65歳以上、人口比50%以上;
高齢化が進み、共同体の機能維持が限界に達している状態。
超限界集落;特に定義なし;
特に定義はないが、限界集落の状態を超え、消滅集落への移行が始まっている状態。
| 01:50 | comments(0) | - |

田舎での活動が意味すること
昨日の夜から、考えている。
一体、自分たちの周りにはだれがいて、だれを対象に活動をしているのか、ということを、改めて考えている。今年の冒頭で言及したように、最近下津井での社会活動に時間を割いているけれど、一体下津井には誰がいるのか、どんな興味を持ちつつ生活しているのか、ということを大雑把&乱暴にまとめてみると、どうやら、三つのグループに集約されるだろう、というところに、朝方至ったのだけれど、その三つは、こんな感じだ。

(地方都市の三大グループ)
  • 地元大好きな「マイルドヤンキー」層
  • 欧米大好きな「団塊の世代」層
  • ゆったりとした生活を持つ大量の「高齢者」層

これは、地方の町であればどこでも当てはまるようなグループ分けだけれど、おそらく平均的地方都市であろう、毎年500人ペースで人口が減っているような児島地区(現人口72,500人)よりも、その三倍の減少率をもつ100人ペースの下津井(現人口5,300人)のほうが、顕著に現れていて、こういった特徴のある地域で活動を行なうことが、他の地域にも参考になるような、そんな成果が得られるはずだと考えています。

これは、「地域おこし協力隊」の活動で有名になっている岡山県北の中山間地域も同じだし、震災で痛手を受けた東北の地域も同じで、共通しているのは、将来の日本の諸都市が直面するであろう社会状況を既に迎えているということなのですが、この三大グループが社会活動を主に引張っていることを、ここ数ヶ月の活動で肌身に感じたところです。

311以降、ちょっとした意識の違い・立場の違いで、互いに言い争い、バラバラになってしまうような、そんな危うい思想基盤しか今の日本人は持っていません。マスコミがウソを言うことは、痛いほど思い知らされましたが、それでもSTAP細胞騒動で注目された小保方さんの記者会見は、マスコミを通じてしか、知り得ないという情けない状況でもあります。
そんな日本の状況の中で、一体ぜんたい、今後の生活はどうあるべきなのか、ということに対する解答を、若い芸術家たちが小さな港町で実験しているところです。
 


| 05:56 | comments(0) | - |




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