倉敷建築工房 山口晋作設計室
コロナ禍が浮き彫りにした建築と住宅

特に4月や5月の頃は厳しかった。普段であれば、表面的な付き合いで誤魔化されていた孤独感・孤立感が、外出が制限されたコロナ禍の中で顕在化していったのだろうと思う。先日、30代以下の女性自殺者が昨年比で7割増だとのニュースを聞いた。孤独から絶望にスイッチした娘の遺骨を抱えた親たちの想いを考えると、胸が痛む。高齢世代だけではなく若い世代でも単身世帯の多い現代日本人の生活は(全世帯の1/3が単身、2015年国勢調査)、コンビニや通販という購買形態の拡大、また派遣社員やネットオンリーでの業務決済などの働き方の変化の中で、仕事以外で誰とも話しをしなくとも生活が流れていくようになっている。普段はあまり意識することのない人間関係の多様さ、深みや複雑さがもたらす安定感安心感といったものが、コロナ禍の中で一気に裸にされていくなかで、感染リスクを顧みずに直接会ってくれる友人がいるのかどうか、というのが親しさの指標・新たなモノサシとなって、私たちの日常に導入されたように思う。

 


(建築中の古民家再生住宅)

 

コロナ禍の中で特に大きな影響を受けたのが、飲食店やイベントホール、観光業などだったけど、彼らにとってみれば、自分たちのアイデンティティが自分自身が壊されたような感覚を、ザクッと腹をえぐられたような感覚を受けたに違いない。人が集まって楽しむための場を作り、共に生きてる実感(共同身体性)を得させるのが、彼らの仕事であって、それを提供した見返りに笑顔でお金を払ってもらうのが生業なのに、それを「お上」から止めろと言われたのだから、たまったものではない。厳しかった春から少し時間が経ったが、未だに窮屈な状態で仕事を継続していたり、廃業したり転業したりしている人も多いと聞く。

そういった状況を横目で見ながら、人とはこんなに急に人間関係を絶っても大丈夫なのだろうか、すっかりか細くなった人との繋がりに耐えられるほど人とは強かったのだろうか、人とは社会的な存在でもあるのだから、他者と関わり合ってこそ自分が浮き彫りになるようなそんな存在なのではなかったのだろうか、と驚いてしまった。どうなってしまったのか、と。

 

それと同じように、建築とは人が集まるための建物であるのに、集まるな!、と言われている状況を見て、住宅以外の建築を設計している人たちの心境は如何ほどのものかと想いを馳せた。建設工事は受注から完成までかなりの時間がかかるので、コロナ禍だからと言って、すぐに仕事が止まることはないにしても、そういう可能性を孕んだ社会状況が目の前に展開しているし、設計者自身も(ZOOM会議は別として)直接会う人の人数が激減している日常を経験しているのだから、これからはネット空間だけが生き残るのだろうか、果たして「建築」は今後どのようになっていくのか、などと考えたのではないか。

逆に盛り上がっているのが住宅だ。サラリーマン率9割以上の現在の日本社会では滞在時間が少ないが故に、今までは住宅が軽んじられてきた。寝るだけの場所に多くの関心を持たないのが、コロナ禍以前の日本であった。しかしながらコロナ禍では、人々が家で多くの時間を過ごすことになって、自身の住環境を改善しようとホームセンターや園芸店に足を運ぶことによって、住宅の中での自分の居場所を確保している。

 


(建築中の新築住宅)

 

コロナ禍での孤独感を癒してくれたのは、人との関わりだったが、人目を憚ることもあり、親しい人と会うのは、住宅となった。GoToナントカが始まって以降は、少しは緩和された(正確には、紛らわされた)けれども、厳しい時期には、喫茶店で人と会うことすら罪悪感を覚えたものだった。ひとりになって誰かと向き合いたいと思うとき、そこに建築はなく、あるのは住宅だった。

今後は、住宅での居心地の良さの追求に目を開かれたクライアントから、多くの注文が出されるだろうが、住宅とは元々いい加減且つあやふやな存在である人間を受け止める器なので、さらに多くの役割や違った用途を住宅に負わせる方向が生まれても全く大丈夫だろうし、ある意味では少し良い時代になってきたように感じている。「厳しい春」を経験した人たちは、雨風を凌ぐシェルターとしての住宅に加えて、人と人が憩う場としての住宅を、より良い空間にしようと本気になるに違いない。

建築は頼りにならず、住宅がそこにあった。前回も書いたが、住宅と建築を明快に分けた上で、例えば村野藤吾大先生がそうだったように、住宅を設計するときと、住宅以外を設計するときには、違うスタンスで臨むべきであって、「建築」への積年の想いを「住宅」にぶつけるべきではない。

| 19:40 | comments(0) | - |

建築史至上主義(再掲)

古いクルマに乗っていると税金が高くなるらしいというのは知っていたが、どうやら政府は旧車ファンを二段階で追い込むつもりらしい。つまりは、13年以上の車と18年以上の車の二段階方式で、大人の階段のーぼるーー、きみはもうオンボロなのうさあーー、じゃあるまいし、18歳になったら、もっとたくさん税金払ってね、それが大人の世界なのよ、タバコもお酒もまだダメだけど、18年経って結婚も出来るんだから、もっとお金よこしなさいよ、人生甘くはないのよ。ということらしい。


私の感覚はそんなに間違ってはいないと思うのだが、一つの車が世に存在してる間中、政府はその車を根拠にお金を巻き上げる仕組みなのだから、長年お努めを果たして来た車に対しては、あんたもご苦労さん、もうそろそろ、足腰くたびれてきただろうから、ここいらで、楽をさせてあげるよ、13年経ったら、1割引で、18年経ったら二割引ね。というのが、世の中の道理というものではないだろうか。


まあ、10歩譲ってその割高になった税金分が新しい車の割引につかわれ、延いては、自動車メーカーが潤い、回り回って将来的にユーザーにまでいいことがやってくるのなら、まあいい。しかし、メーカーの「内部留保」が現金ならばまだしも、そうではなく、借金二京円の国の金融商品になっていたりするもんだから、安倍首相が50兆のアメリカ国債を買うのと同じで、額面通りのお金が日本にあるわけではなく、子供がうれしがってゆっくり綿飴をたべているといつの間にかしぼんでいて大泣きするように、最初は大きく見えるがいつのまにかその金融商品は萎んでいて、ああ残念でした、これは金融力学の世界のことだから仕方ないのよね。お父さんもお母さんも悪くないのよ。あのね、世の中はそんなものなの、なんて言われるのが目に見えているので、18年以上の車にお世話になる身としては、なんとも、勘弁して欲しいものである。


さて、現代建築を志す学生なんかは、胆に銘じて欲しいが、一個人が一生懸命考えたものよりも、無限に近いひとのチェックを通って残って来たものの方が、より現実的な回答だというのが、学生時代から勤め人時代に至るまで、私が教わったことだった。学生時代では、よこで、コンペ、コンペといい、実際にあり得ないカタチの建物をせっせと書いていたものがいたが、それはそれで、手を動かす訓練として意味はあるのだが、どうやって建物が造られるのかも知らずに絵は書けまいと思うのだが、習字でいえば、紙の置き方、墨の作り方、筆の選び方、筆の運び方、強弱の付け方などなどのイロハについて、教えてもらわなければ、文字というのが書けないのと同じで、よくいうように絵に描いた餅ばかりでお腹を満たそうとしても土台無理な話なのである。


世界的にも特殊な状況である東京から発信される建築系メディアの作り方に問題があるのだが、一部のトップランナーは別として、現代建築だけが建築であるかのような虚像を雑誌メディアが造りだしてしまうことに第一に誤りがあり、第二に受け取る側に問題があり、自分はピンだと自負のあるものはいいが、その他大勢のものは、ピン以外、なのであり、つまりは、二流三流陣なのであるから、二流らしく世の中で生きながらえ、貢献していく技術の方が重要であり、多くの大衆が必要とする堅実な飴玉を作るべきで、虚像の綿飴はいつか萎んでしまうのである。


そう考えると、向上心を持って上を向いて歩くのは変わりはないが、室町以降から続いて戦争でプッツリ途切れてしまった日本の民家の系譜を紐解いて、真っ当な民家のしくみの抽出を始めてもいいし、今回私が取り組んだように、明治前期に盛んだった「擬洋風建築」から現代木造住宅へのヒントを得て、それを新築住宅に生かすのもまた美味である。

 


明治の大工たちは、よくいわれるように、いや村松さんや藤森さんたちが命名したように、見よう見まねで「洋風な」建物をこさえていったのであり、なんともいいがたいが、そこにうねるパワーというのは、並大抵のものではなく、自分が親方から教わった日本建築の作り方のセオリーからはかなり外れた、いや、意図して外した西欧建築の偽物を、偽物と自覚しつつ造っていったのであり、「洋風」ではなく「擬洋風」という命名はそこに味噌があるのであり、木造で如何に洋風に見せるのか、をテーマにした擬洋風建築から教わることはこれからも多いのだと、今回よく分かった次第である。


これらは、建築史の諸文献を読んだあと、ケネスフランプトンの本を読み、現代建築に真っ向勝負する人たちを尊敬しつつ横目に見て、でも私はこれをやると、建築史研究を援用して現代住宅に適用する方法であり、現場再現型もしくは、動態保存型の建築史研究とも言うべきで、江戸からポストモダンまでのスパンのものを対象に、現場において建築史研究を実践しているのであり、設計者の主観であることには代わりはないが、過去からの良質の贈り物を現代住宅に届けるもので、バランスさえ崩さなければ、自然なカタチでの定着が望めるのである。それは現代建築のように一個人が考えるよりも、より広い範囲での了解が得られ、その積み重ねにより、一つのスタイルの形成へと至るのである。かつて古民家再生工房の先輩たちが一つのスタイルを確立したのは、そういう方法であり、今回「真っ当な民家」ではなく、「擬洋風建築」を援用した私も同じであり、古民家(再生工房)の先輩は否定するだろうが、私にいわせるといずれも建築史至上主義である。

 

(以上は、2013年2月19日に書いたものの再掲です。元記事はコチラ。

 文体が、ややトンガっているきらいはありますが、原文のまま、再掲しています。)

| 22:04 | comments(0) | - |

「産業」ではなく「生活」なんだよ(再掲)

 無理矢理「産業」にしているのがだめだよな、と思うわけです。
 自動車や家電のように工業化しないと世の中に出現しない代物と違い、住まいというのは、人がこの世界に生まれたそのときから、いつでも・常に・同時に・いやでも、「ある」わけで、やはり、「産業」ではなく「生活」だよな、とおもうわけです。

 

 私が生まれた下津井は江戸時代に北前船が寄港して、寄港した期間というのは、岡山城の城下町よりも人々がごった返したそうですが、今は昔で、現在ではそんな様相は全くありません。私の祖父(大正4年生まれ)は、生前自分が住んでいる下津井の方が、児島よりも「都会」だと思っていたようですが、そういう感覚も彼の年代くらいまで、それ以降は、もうズレています。中学生になる頃に瀬戸大橋が開通しましたが、25年経ってもまだ宇野港から高松までフェリーが運航しているなんて、当時は考えていませんでしたが、主要交通手段の変化というのは、いとも残酷で、人の暮らしを変えていくわけで、鉄道中心から自動車中心の生活に変わった地方都市の駅前商店街が廃れるのも同じで、経産省が補助金を仕方なく出しながら、商店街の活性化を!とか叫ばれても、住んでる人がやる気がない/もしくはピントがずれている、のだから、目も当てられないという商店街が各所に散在しているというわけです。モノ・カネ・ヒトが大きく動くために、主要交通手段が編み出され、いまとなっては、ネットとスマホでやりとりされていますが、その移り行く世情のなかでも、住まいというものは、変わるものではなく、ずうっとそこに「ある」ものです。

 

 住宅産業というのは、すでに産業としてのダイナミズムも失われているので、「とにかくコストダウン」とか、「設備投資は必要最小限に切り詰めつつ、いかに経費を削るか」とかが、まずありきであって、そこには、「どんな生活を描きたいのか」という、本来の姿は皆無であり、皆無だからこそ、蹴ったら壊れるような住宅が大量生産され、十年毎にコーキングを打ち直さなければならない住宅を平気で使うというわけで、ここにいたり、日本の住環境の悪化が極まる原因があるわけです。


 そんなこといっても、住宅メーカーも頑張っているじゃあないか、という見方もありますが、それは、上辺だけの話しであって、元が上記のような根性なんで、日本人が得意とするさわやかで奇麗なプレゼンが消費者に出来れば、そこそこ売れるし、長いものに巻かれるのが好きな国民性なので、ブランド力(笑)という物に頼って、自分の力で生活を考えずに、ネット検索という人のフンドシも現代は多数横行しているので、そのフンドシがどのくらい不潔かという感覚も合わせ持たないままに、住まいを選び、銀行融資のことも人に任せて、とりあえず、早くつくって来れればいいよ、みたいな感じで対するものだから、受ける方もそんな感じが加速して、早いが勝ちで消費増税前に逃げ切りましょう、そうしましょう!というのが、現代日本の住宅生産を取り巻く状況である。

 

 まちづくりもそうだけど、住んでいる人の「生活」あっての「街」であるので、住んでいる人が自分たちの街を楽しみ、誇りを持てて、銭湯もあるし、八百屋もあるし、魚屋もある。そろばん教室もあるし、パン屋もある。色んな店が点在する中で、自分たちが暮らしていけるという、専門用語で言えば、「コンパクトシティ」というのが、ナウでヤングな街なのだが、すまいもそうで、「産業」が先にあるのではなく、「生活」が先にあり、これを読むあなたの生活のために住宅があるわけで、何で海外旅行から帰ってきて飛行機の窓から見る日本の風景が貧しく感じるかというと、そこには、「生活」が見当たらず、「産業」があるように見えるからで、こんなことをしていると、モノサシで線を引いたような区画の街ばかりになって、ズボンの腰からシャツがはみ出ている不手際さはそこにはなく、野良犬も生活できないだろうから、そうなったら、もうちょっと田舎に逃げて生活しないとイケナイくらいの危機感を感じる。そんな日本が残念ながら今の現状である。

 

 スマホ世界の到来もあり、古いと思っていたものも古くなく、様々なものが同じ土俵で評価できるようになっているからこそ、いまいちど、ばかばかしい「戦後の住宅産業」ではなく、地に足の着いた「自分の生活」というものが、ナウでヤングなのだ、という新たな価値観を手に入れて、明日を歩み出して欲しい。


 それにしても、住宅産業をグルグル続け続けるというのが目的になるという、自己目的化というのがまかり通り、まかり通るのは、携わっている人も分断されて、各自の持ち場でやることをくそ真面目にやっているからで、総体として観察すれば、こんなに馬鹿げたことはないな、というくらい、ばかばかしい感じになっているのである。アホである。
 

 

 

 

(以上は、2013年5月20日に書いたものの再掲です。元記事はコチラ。

 文体が、ややトンガっているきらいはありますが、原文のまま、再掲しています。)

| 21:57 | comments(0) | - |

私の考え方/ヤマグチ建築デザインの思想 (再掲)

    住まいというのは、キャッチコピーひとつで表現できる単純なものではなく、多様なニーズや条件によってつくられていくものであるので、結果として完成した建物の姿を見るだけでは不十分で、その素となる作る人の考え方というのが、その家を規定する最重要な要件だと私は考えています。以下はそういう意味での私の考え方をお伝えしています。

    現代日本の住宅生産を取り巻く状況は、戦後の住宅難の時期に現れた「住宅メーカー」という日本独自の生産方式を中心にして今日まで展開しており、直接関係が無いように見える各地域に根差す工務店までもが、建築法規と各種材料供給、職人体制というルートを通して、産業化された「住宅メーカー」の影響を受けており、メーカー住宅及びその派生版住宅で世の中の住宅地は溢れているという状況です。戦後期に住宅難の一時期の急務を担ったという意味で、メーカー住宅の功績は評価されるべきでしょうが、緊急時の必要を終えて以降はその規模を縮小すべきだったと私は考えます。40年も昔(1973年)に住宅の数が世帯の数を上回り、2005年には人口減少元年を迎えているというのに、都市部が焼け野原で緊急時のための「安い材料で短時間に大量の住宅を造る」というこの住宅産業という代物は、豪華さは増したもののその基本思想は変えないまま、70年近くの現在も継続しています。
    私が違和感を抱くのは、「住宅産業」という言葉にくっ付いている「産業」という言葉なのですが、そもそも、住宅というのは、人間生活の基本的必要であって、「衣食住」などと言われるように、「工業」や「産業」というものが、出現する以前からあるもので、家電やクルマなどのように工業化しないと世の中に出現し得ない代物と違い、住まいというのは、人がこの世界に生まれたそのときから、いつでも・常に・同時に・いやでも、「ある」わけであり、「産業」という言葉は、本来住宅に使うべき言葉では無いように考えているわけです。
    住宅産業というのは、今日では産業としてのダイナミズムもすでに失われているので、「とにかくコストダウン」とか、「設備投資は必要最小限に切り詰めつつ、いかに経費を削るか」とかが、まずありきであって、そこには、「どんな生活を描きたいのか」という、本来の姿は薄れており、住宅産業をグルグル続け続けるというのが目的になるという、自己目的化というのがまかり通り、まかり通るのは、携わっている人も分断されて、各自の持ち場でやることをくそ真面目にやっているからで、総体として観察すれば、人間生活を横においた住宅産業界のための、日本の住まい、という逆転した状況になっているのであり、こんなに馬鹿げたことはないな、というくらい、ばかばかしい感じになっているのです。
    一方、住宅の造り方が分かる現代人が少ないというのも、少し考えると奇妙なことで、生き物として考えてみても、住宅の造り方がわからないというのはマズいことであって、農協から買う苗のように一代で終わるような仕組みだったり、ウーマンリブ運動のお陰で子供の教育を家庭でしなくなったように、その同じ方向性を踏襲して、住宅の造り方がわからない、というのはマズいことだと考えています。簡単でいいので、つまりは、納屋程度で十分なので、住宅の造り方というのをせめて中学生くらいの段階で身に付けておくというのが、これからの時代には大事なような気がします。そんなに原則論ばかり言ってもこの複雑な現代でそれはないでしょう、という意見もあるでしょうが、急がば回れであり、原則が大事で原則から出発するべきです。

 

 

 では、「産業」ではなく何かというと、やはりそれは「生活」であって、住宅とは生活の器であって、雨風・日射・外敵から身を守り、煮炊きをし、精神的にも落ち着いて日々を過ごすという、そういう目的のためにあるものであって、高価な対価を払って貧弱な家を手に入れるという要領で「産業」に隷属するなものではないはずです。
 私たち日本の住まいは、室町時代にひとつのスタイルが定まり、江戸後期まで発展し、明治大正と受け継がれてきたのですが、この庶民の生活を規範にしてじわじわと長い年月をかけて積み上げてきたスタイルは、「部屋の大きさが決まれば、家の造り方が決まる」という何とも便利な仕組みだったのですが、この職人体制と一体になった「タタミ中心オープンシステム」とも呼べる仕組みを、戦争と住宅産業が壊したのであり、それ以降、このオープンシステムは、息絶え絶えであり、なぜ海外旅行から帰ってきて飛行機の窓から見る日本の風景が貧しく感じるかというと、そこには、「生活」が見当たらず、「産業」があるように見えるからで、里山の風景が美しく見えたり、倉敷美観地区の瓦屋根が美しく見えるのは、そこには「生活」があるからであり、掛ける値段は同じでも、手に入れる美しさや質の高さ、いつまでも使い続けたいと思う愛着のようなものは、「住宅産業」が造る住宅にはなく、「生活」から生まれた住宅がその成立過程において自然に身につけたものなのです。
 「生活」から生まれた住宅というものは、新しくても風景に馴染むものであり、一個人が一生懸命考えたものよりも、室町以来の無限に近いひとのチェックを通って残って来たものの方が、より実際的現実的な回答であり、そういった日本の民家というものをベースにしつつ、現代の住まいを考えているのが私の事務所の考え方です。
 それは「戦後の住宅生産体制」によってもたらされた「断絶」が、仮になかったとしたら、室町から続く日本家屋の伝統が現代にまで生き延びていたとしたら、どのような住まいがあり得るのだろうか、という視点を持ち建築デザインを行なう方法で、上からではなく下からであり、産業ではなく生活であり、閉じるのではなく開くことが大事で、特別につくるのではなく自然にできるものの方が良いとするもので、物質的にも精神的にも時間の経過に耐えられ、かつ見た目も美しく、そして建築主はもちろんのこと材料屋も含めて施工に携わるみんながハッピーになれる方法だと、そのように私は信じています。
 以上の考え方を基本にして、ヤマグチ建築デザインは活動しています。よろしくお願いします。

 

(以上は、2013年6月17日に書いたものの再掲です。元記事はコチラ。

 文体が、ややトンガっているきらいはありますが、原文のまま、再掲しています。)

| 20:23 | comments(0) | - |

しっかりとした床

工場や倉庫の雰囲気を個人住宅に取り入れたり、工業用品を身の回りの日用品に取り入れる事例が相次いでいる。倉庫風なカフェや倉庫風なオフィスなどは、珍しいものではなくなってきた。100円ショップの品揃えでは、モダンな装いの白い陶器やミッドセンチュリーに端を発する樹脂製の容器などが、かつては幅を利かせていたが、最近では、金属の各種製品が相当な広がりを見せている。これらは、「インダストリアル スタイル」と分類しても良さそうだ。机の上のペン立てを「ホーロー看板」のような雰囲気にプリントされたモノを使ってみたり、いわゆるブリキ製(亜鉛めっき)の小さいバケツとかは、それこそ、大量に生産されている。

100円ショップにあるものは、本物ではなくて、「○○風」「○○スタイル」と呼ばれるものだろうが、本物のインダストリアルを日常に組み入れた時の違和感を楽しみ、その本物感を味わっていた先人が独特の価値観を広げていった結果が、現在の「インダストリアル スタイル」につながっている。何にしても、「本物」が先にあり、それに影響を受けた「商品」が後になってできるものだ。

 

これら本物のインダストリアルが好まれた背景には、既存の商品群には、売るために差別化を図ろうとする匂いが、商業的な付加価値をつけようとする思惑が感じられるなかで、インダストリアルな製品たちには、その「匂い」が見つからなかったという状況があったのだろう。商業的な付加価値に拒否反応を示し、売るために価値観を捏造した商品に「No」を言い渡したのだ。インダストリアルな製品というのは、もともと、特定の場所と特定の目的のために作られたものであって、「売るため」に作られたものでは、ないからだ。「売るため」の商品ではなく、「使われるため」に作られたものだ。

それは、かねてから言い続けている日本の民家の伝統建築にも、もちろん通じるものがある。民家というのは、人々の生活の中で何度も試され、練られた結果、数え切れない幾つもの実地試験をくぐり抜けた結果、生き残った精鋭構法の総体なのであるから、それは「売るため」の商品ではなく、「使われるため」に作られたものだ。

 

「売るため」の商品ではなく、「使われるため」に作られた商品が好まれる、ということは、この時代では必然だと思う。人口が増え続け需要が鰻登りに高まっていった時代では、何を作っても売れたから、何を作ろうか、どのように作ろうか、という発想は希薄になり、売るにはどうすれば良いかという短絡的な思考に陥りやすい。しかしながら今日のように、人口は減り税収は減り、需要は減り、需要を掘り起こしながら新たな販路を見出さなければならない状況の中では、「作れば売れる」というかつての状況は存在しない。つくる側の論理、ではなくて、使う側の論理でよくよく練られたものだけが、飛距離を持って、個人の手に渡っていくのだ。いや、本来は、そうではなかったか、人の生活から、人の必要から、物が生み出されて行き、それの積み重ねで洗練されて行く、本来はそういうものだったはずだ。

 

その意味において、人の生き方に話を置き換えて考えてみたい。つまり、他者が求めることをするのではなくて、自分がしたいこと、好きなことをやり続けるというのは、良い生き方だと思う。自分が他者に気に入られる(「売るため」)ことを先に考えたり、嫌われることを先に恐れたりするのではなくて、自分がしたいように自分が生きたいように生活を続けていくというのは、一見、子供っぽいと受け取られることだが、いろいろなことを分かった気になって、「世の中はそういうようになっているのだ」と(わかりもしないのに)自分に言い聞かせつつ、言いたいことも言わないで、過ごしているよりも、よっぽど気持ちの良いことのように感じる。物分かりの良い大人になるよりも、「子ども心」を持って世の中を生きていくほうが、良いのではないか。楽しいことをやり、失敗してもまたやり続ければいいのだ。

 

そんなことを考えながら、現在工事中の物件や現在設計中の物件を眺めていると、そこには、毎回登場している黒色のモルタルで塗られた、しっかりとした床があることに思いが至った。倉庫が好まれる理由には、しっかりとした床がそこにあることが、かなり重要な要素になっている。うつろい易く、確かな指針を持ちにくい現代にあっては、確かなものに対する依存度は高まっている。古い倉庫の床というのは、ひび割れやシミのついたコンクリートの床が大半だが、そういった床こそが愛される時代になっている。

 

| 00:05 | comments(0) | - |




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